のぶちゃんマンの生い立ち(2)

内向的なのぶちゃんの変身―「のぶちゃんマン」の誕生。

「自分にしかできないことがある」。その事実に気付いたことは、後の「のぶちゃんマン」誕生へと繋がります。時代の波に乗り、商売の面白さに目覚めた私でしたが、それもつかの間、やはりまたしても新たな時代の波が襲いかかったのです。

そう、バブル崩壊です。

また収納付きマンションの普及が増え始めた頃で、売上の要となる婚礼家具の売上が激減。1年後には売上全体が半分以下に減り、もうダメなんかなと思いました。でも「他社と同じことをやっても、売上は上がらない」と思い、従来の常識を捨て、アウトレット家具専門店を立ち上げたんです。
それでも、小売店の登場や海外家具店の日本出店、通販の台頭なんかで、以前のように家具は売れない。テレビショッピングもみるみる反応が悪くなって、状況は悪くなる一方でした。常に需要のある家電やギフト食品、スポーツ用品に比べ、家具はとっくに成熟期を過ぎた商品。それならどうすれば…。そのとき私の頭に、露天商をしていたころの母の姿が、修業時代に見た光景が、心に浮かびました。

「モノの価値と売れる、売れないは決してイコールじゃない。商売にはリズムも大事だ」。
「商品にインパクトがなければ、売る人にインパクトを持たせればいい」。

そう閃いた私は、44歳の時、女装をしてテレビショッピングに出演しました。もともと内向的な性格なので、まあ悩んだけどね。恥をかなぐり捨て「いざ!」とスポットライトが自分に当たった瞬間、まったく新しい何かが生まれたのです。
無我夢中で商品をPRするとスタジオ中が大爆笑に包まれ、結果、放送後に注文の電話が殺到。「人を楽しませたら、モノが売れるんや!」。商売はモノの価値だけじゃなく、人の魅力でも成り立つことに気付くとともに、スポットライトを浴びて主役になる楽しさ、別の自分自身が引き出される面白さを強く感じました。
それからは商品を売るためにというよりは「もっと面白いことをやって、お客様に楽しんでもらおう」と様々なキャラクターに扮し、店舗でも本音トーク。そこから2000年に生まれたのが、「のぶちゃんマン」なんや。コンセプトは“宝物を探しに行くバイキング”。
私にとって「のぶちゃんマン」は、引っ込み思案だった自分を奮い立たせ、剣道に挑戦し始めた小学校5年生の時の自分自身。会社を救うヒーローではなく、うまくいってもいかなくても、とにかく一歩前に進むために生まれた、私のもう一人の人格なんです。

それからはマスコミから注目され、雑誌をはじめ、テレビのトーク番組など各メディアの取り上げが殺到して。「変わった関西人の社長」として色々と取り上げてもらいまして、アウトレット家具専門店も3年後には9店舗、年商10億円と成長、まさにV字回復で破竹の勢いやったね。事業も引っ越し、リサイクル、リフォーム、パンの移動販売など一気に多角化。1998年には45歳で念願の大学に入学し、経営学も学びました。そして2005年には年商28億円を超え、2008年の株式上場を目標に掲げるまでに。「何でもできる」と私は自信がみなぎっていました。

「のぶちゃんマン」、天国から地獄へ。泣いて笑って這い上がる。

うまくいってもいかなくても、とにかく一歩前に進むために生まれた、私のもう一人の人格。それが「のぶちゃんマン」。今までうまくいきすぎて、上を向いて喜んでばかりいた「のぶちゃんマン」は、横や周りをあまり見ていなかったと、今更ながら思う。2008年、リーマン・ショックが起こり、世界中の景気が大きく落ち込んで、それはうちの会社にも大きく影響しました。
多角的な事業展開、行き過ぎた経営により人が育たず、ボロボロと辞めて行く社員たち。やがてマスコミも物珍しさに飽きて、出演依頼も激減。バブルの時には何とか危機を乗り越えましたが、この時は歯止めがきかず。抱えているモノが多いほど、失うモノものが多く、成長が急激だったからこそ、落ちるスピードも圧倒的に速かったのです。2008年からたった3年で、各事業がどん底まで落ちていってしまいました。
月末になると在庫の山に向き合い、取引先や金融機関からの電話が鳴りやまず、10億円近い負債を抱えるまでに。また今まで上手く行き過ぎた代償なのか、「あそこの商品は元々ダメ」「のぶちゃんマンはもう終わった」というような風評被害にも苦しみました。この時期は本当につらかったです。店を閉店するのにも何千万というお金がかかる、今まで頑張ってくれた従業員たちにも辞めてもらわなければならない…。いったん会社を潰してはどうか?という知人からのアドバイスもたくさんもらったんやけど、、。私は今まで挑戦してきた自分を否定するような気がして、その選択はしたくありませんでした。そこで、まず事業を縮小し、自分の給料を会社に戻していくことから始めていった。毎日悪夢にうなされ、気の遠くなるような時期やったけど、「自分は強運の持ち主だ」という言葉を心に刻み、銀行の担当者と向き合いながら、お金の整理、整理の日々。恥かしながら、妻の貯金にもお世話になったこともあり(笑)。

強運が味方してくれたな、と思ったのが2008年。奇跡が3つ起きました。まずひとつめは政府が「中小企業金融円滑化法」を定め、中小企業が債務の返済期間を伸ばせるようになったこと。「これでなんとか生き延びられる!」と債務返済計画を立て、事業も利益の見込みのある4つに絞りました。二つ目の奇跡は、お客様から。金の延べ棒を3本持って換金しに来てくれて。日本昔話みたいやな。3つめの奇跡はお客様から急に多額の未回収金が戻ってきたこと。この奇跡があったから、再スタートを切れました。
一生懸命やっていれば、見てくれる人はいる。私は再びゼロからスタートの心づもりで、毎月大阪から、福岡の大川までトラックに乗って家具の買い付けを始めました。同時にこまめに月次報告を持って、さまざまな金融機関に足を運び、返済計画をプレゼンしました。寝る間もなく、精神的に落ち込み、疲弊しきっていましたが、剣道で鍛えた声だけは大きかったんで、目立ってたと思うね。目の前にズラリと並んだ金融機関の担当者たちにPRする時は、まるでスポットライトを浴びている「のぶちゃんマン」になったかのよう。
「借金も資産もどれぐらいあったって、気持ちの持ちようだけで生活自体は変わらない。何も思い悩むことはないんや」。そんな心持ちで頑張って数年、段々と金融機関の担当者たちも応援してくれました。見てくれる人は見てくれる、人生捨てたもんやないなあ。
TOPへ